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Selfishly

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白昼夢 p3


~ 白昼夢 ~p3

『忘れられない情と、忘れ去ってしまう咎。
   どちらの方が、より罪深き業なのだろう・・・』



小さな音なのに、今の室内ではその音が響き渡る程に感じられる。
     コツコツコツコツコツコツ
小さなその音は、まるでその男の心情を代弁しているかのように鳴り響き続けている。
時折途切れるときには、音無き嘆息が漏らされている気配が満ちる。
その後また、コツコツコツコツコツとデスクに放り出された手の平から
音は生み出され続けていく。

二人っきりになった執務室に、殊勝気にじっと座っていたエドワードは、
そっと、音を作り出している元凶の男を盗み見して胸中で溜息を1つ。、
そして、先ほどの出逢い頭のシーンを回想する。


 ***

『間違い無くこの男は、自分の知り合いなのだんだろうな・・・』

司令部内の巻き起こった混乱は、さすが精鋭揃いのメンバーと思わせられる迅速な
対応で収束された。
テキパキと陣頭指揮を執って指示を繰り出すホークアイに、1を聞いて10の行動を取る面々の
連係プレーは見事と言うしかなかった。
しきりと恐縮し、謝っている弟の横でエドワードは釈然としない思いで座り込んでいた。

どうやら自分は誰かを忘れてしまっているようだった。
ーーー 確かに失礼極まりないことではあるとは思うが、
今のエドワードにとっては、ピンとこないまま・・・腑に落ちないでいる。---

・・・ 記憶の代価に、記憶を ・・・

そう言われていたから、それはある程度覚悟もしていたし、決心もしていた。
それでも良心的なその人は、消されたくない記憶は3つだけ、持っておいて構わないと言ってくれたのだ。
だから、選んだ。
絶対に消されたくない記憶・・・。
一つは、弟、アルフォンスの事。
二つ目、賢者の石に関する知識。
そして、最後に複数が関与していても構わないと言われたんで、家族の記憶。
(そこには、ウィンリーやピナコ、ダブリスの師匠たち夫婦も含まれていた。)
これが、エドワードが絶対に失いたくないと思った記憶だ。
そして残った記憶の中から、術者が気を惹いた記憶を差し出す。
それが今回の等価交換の条件だった。

その時の事を考えていると、微かな違和感が過ぎっていく。
それは本当に僅かで・・・、でも、もしかしたら微かだと思うほど、心の奥底に潜んでいるのか?
そう思う程には、確実に自分はその違和感を感じている・・・、微かな痛みと共に。
それが一体何を示すのか、先ほどからずっと考えていた。
記憶を遡り、覚えていることと照らし合わせていく。
そうやって何度も何度も、失われている経過を考えてみるが、皆目見当も付かない。

ーーー ただ・・・。
 漠然と、そう・・・漠然と思うだけなのだが・・・。
 自分は、何かもう1つ --- 忘れたくないと思っていた記憶が、あったような気がして ---

が、それがどの記憶を指しているのか。 
今のエドワードには思い出せないでいるのだが。

   コツコツコツコツコツ
先ほどから忙しなく鳴らされている音が、エドワードを今の現実に引き戻してくれた。
『あっ・・・』
ふと意識を戻すと、そこには相変わらずそっぽを向いたまま、無表情な男が部下達の報告が上がってくるまでの
時間を、無関心に、手持ち無沙汰そうに待っている姿が見える。
が彼の内心が、その作られた表情と様子とは裏腹なことは、先ほどから苛ただしげに、
忙しなげに打たれてる音が裏切っている。


忙しなく急かす部下に、不審そうな表情で執務室に入って来たこの男・・・、ロイ・マスタング大佐と
言う男は、確かにエドワードの知り合いなのだろう。
そうエドワードが何故確信に満ちた思いを抱いたのかと言うと、入って来た瞬間のこの男の目の色だった。
不審そうに扉を潜って瞬間、マスタング大佐はエドワードの姿を認めて瞳を瞠り、
そして次の瞬間、黒一色の瞳の色を移り変わらせた。
それは本の僅かな瞬間だったから、興味津々で来る相手を待っていたエドワードにしか
判らなかった反応だろう。
ふいに頬を横切る微風のように。さらりと流れ落ち、姿を変える雫の1つのように。
瞬く間に色を変え、後は元の黒一色になっていく。
その瞳の色が・・・。瞳が伝える感情が・・・。
余りに切なげで、寂しげで、哀しそうで・・・愛しい気だったから。
その色の変化から読み取った感情は、エドワードの頭の中に浮かんでくる。
ーーー それは『哀切』だろう ---
遠い昔、まだまだ今よりももっと子供だったエドワードが、よく見ていた瞳の色に似ている。
独りっきりで物思いに耽っていた時に、母親が浮かべていた瞳の色が、
確かにあんな瞳の色だった。

そんな瞳を浮かべて自分を見つめた相手が、知り合いでないとは、
さすがのエドワードも思わなかった。

が、じゃあ彼は誰かと言われれば、先ほど聞いた経歴以外何も浮かんでこない。

そして、気づいたのだ。
失った記憶とやらは、どうやらこの男に関する記憶だったのだと。


特定の音以外は静まりかえっていた室内に、いきなり大きな音が飛び込んでくる。
それがノックの音だと、エドワードは遅まきながらに気づいたのだった。
「入れ」
先ほどから待機をしていたマスタング大佐は、寸暇の間もなく返答を返していた。
「失礼致します」
筆頭でそう声をかけて入って来た女性に続いて、ぞろぞろとどこかへ姿を消していた面々が
入ってくる。アルフォンスの姿もあって、エドワードはホッと安堵を込上げさせた。
「出たか?」
面白くも無さそうな様子で端的に聞き返す上司に、手にメモ書きと思われる用紙を持った
ホークアイが小さく、しかしはっきりと頷き返す。
「ここまでの彼らの行動を検証した結果、ほぼ間違いないと思われる箇所が判りました。
 現在、その時に訪問先の相手の動向も調査中ですが、思惑や経緯は判明しておりませんが、
 特に相手に不審な行動を取る形跡も見られず在宅中との事でした。

 で、その相手ですが・・・」
すらすらと淀みなく話していたホークアイが、最後の方だけ躊躇う素振りを見せて、
言葉を切ったかと思うと、書面をマスタング大佐へと差出、見せるようにする。
無言で差し出された書面を見ていた相手は、さらさらと流れるように動かしていた視線を
ピタリと止め、じっと考え込むように動作を止める。
その一連の出来事を興味深気に見ていたエドワードは、そこに書かれている事が
気になって仕方ないのか、そわそわと動かなくなった相手を窺っている。
そして、そんな行動からも、エドワードが自分達の上司を忘れきっている事を
皆に思わせたのだった。
以前のエドワードなら、ロイがどれだけ待てと言っても聞かずに、さっさと覗き込んでいただろうから。

「・・・成る程な。
 等価交換・・・と言うわけだ」
短いような長かったような時間を経て、マスタング大佐が納得したような口ぶりで呟いた。
「では、やはり・・・」意を得たように返される言葉に、「多分な」と
確信に満ちた返答が短く返された。
「では至急、事情を伺いに行く者を手配いたします」
打てば響く早さで返ってくる返事に、マスタング大佐は立てた手に顎を置いて黙り込んだままだ。
「大佐?」
直ぐにでも了承の返事が返ってくると思っていた面々が、怪訝そうに窺ってくる。
そして。
「・・・嫌、この件は私が預ろう。
 中尉、すまないがこの後に私が動ける日程を調整してくれ」
「はい、了解いたしました」
二人が分かり合ったように言葉を交わしているのを、周囲のメンバーが
驚いたように声を上げる。
「えっ! って、大佐が動かれるってことですかぁ」
火の点いてないタバコを落としそうになりながら、ハボックが確認する。
「それは・・・。まだ調査の段階ですから、我々が動く方がいいのでは・・・」
ブレダの言葉に、周囲も頷いて同意を示す。
「聞こえなかったのか?
 私が預ると言ったんだ。錬金術が絡んでるとなると、私が担当する方が的確に動ける。
 それに・・・、これは私が出向かない限り、結果は得れないだろう・・からな」
最後の言葉は、小さく呟かれ自分自身に言い聞かせるように語られた。
それに同意とも否定とも取れるような瞬きをホークアイ中尉が返すのを、
周囲のメンバーは不思議そうに眺めるしかなかった。

微妙な空気が漂う中、やはり冷静に頭を働かせていくのは女性の方が速いのだろう。
「判りました。この件は大佐にお任せするとして、で彼らの対応はどう致しましょう?」
そこで漸く、話の元凶の兄弟の今後の対応を思いつく。
「どうもこうもないだろう。暫くは様子を見がてら、対応を考えるしか」
「はい、それは勿論ですが、それまでは彼らの身柄を預る先を考えた方が宜しいのでは?」
「・・・そうか、そういう問題もあるか」
「ええ、弟のアルフォンス君は一般人ですし、彼自身の問題でもありませんから良いのですが、
 エドワード君は・・・」
そこで漸く、エドワードが反応を示す。
「俺!?」
行き成り話を振られた驚きを示すように、エドワードはきょとんとした表情で
パチパチと瞼を瞬かす。
「あのなぁ~・・・」
そんな他人事の反応を見せるエドワードの様子に、周囲はガックリと肩を落とす。
「お前なぁ・・・。
 大将、いいか! 記憶無くしたのは俺らじゃなくて、お・ま・えなの!
 俺らがこんなけ焦ってるのに、な~んで当の当事者のお前がそんなけ緊張感ないかなぁー」
呆れ返った様な声で諭されて、エドワードはちょっとだけ首を竦めはするが、
不満そうに唇を窄ませてもいる。
「エド、もうちっと緊張感を持てよ。
 お前の記憶が無くなってんだぞ」
「本当にこの馬鹿兄ぃー。
 皆さんに、これだけ迷惑かけてるって言うのにぃ~」
恥かしそうに窘める弟は、兄とは違って正確に現状を把握してくれているようだ。
皆の口から代わる代わる窘められて、エドワードの不機嫌は募っていく。
「ちぇ、何だよ皆して。
 別にそんなに騒ぐ事じゃないだろ。・・・確かに俺が、その人の事を忘れてんだろうってのは
 判ったけどさ・・・」
そう不満を口にしながら、チラリと相手を見る。
このメンバーの中で、今回の件に特に感慨を持ってない者が二人。
記憶を失ったことさえ気づいていなかったエドワードと、
忘れられた当人。その二人。
意外に当事者二人が一番冷静のようだ。
「・・・別に特に困ってもないぜ?」
相手も自分も。
なら無用に騒ぎ立てるより、自分たち兄弟はさっさと手に入れた情報を確かめに行きたい。
ーーー そんな気持ちが、思わず口から突いて出た。---

「兄さん!!」
「エドワード君!」
「大将ぉ~」

そう告げた瞬間、非難の声が周囲で巻き起こる。
それに驚いたのはエドワードの方だ。
ビックリしたように目を大きく見開いて、周りを見回す。
「な、何だよ・・・皆して」

「兄さん・・・、情けない。
 言っていいことと、悪い事も判んないの!
 そんなに考え無しだったなんて・・・、恥かしいよ、僕は」
「アル?」
「大将、それはちと酷いんじゃないのかぁ?
 記憶が無くなったからとは判っちゃいるが、思いやりまでなくしたのとは違うだろうが」
「ハボック少尉まで・・・」
いつも優しい兄のような青年だった。自分が酷く傷ついたり、落ち込んでたりすると、
さり気なく近付いては慰めてくれたり、フォローしてくれたり・・・。 
そこまで考えて、はたと思う。
ーーー 何に落ち込んでる時だったっけ? ---
司令部に来た時に何で落ち込んだり、腐ってたりしてたんだろうかと考える。
ここに居るメンバーは、常にエドワード達兄弟に優しかった記憶しかないと言うのに。
勿論、叱られたことは何度もある。
でもそれは、自分達が無茶をしでかした時だけで、二人を心配しての事だ。
そんな愛情籠もる行動に、落ち込んだりするほど子供でもない。
ーーー じゃあ、何でなんだ?---
ループの用に戻ってくる思考にストップをかけてくれたのは、
この室内で自分同様冷めているもう1人の男だった。
「そこまでにしておけ。記憶を無くしてるのは彼の責任だが、
 被害者でもあるんだ。
 そんな時に、彼の言動を追及しても詮無い事だ」
マスタング大佐の言葉に、皆がハッとして黙り込む。
周囲が躍起になっているなか、当事者のもう一人になった上司は、
冷静に事を受け止めているのだ、外野だけが騒いでいるとしたらお粗末過ぎる。
そんな無能者は、このマスタング組には居ないはずなのだ。
「失礼致しました」
非礼を詫び、静かに今後の決定を待つ姿勢に入る。
そんな中、今まで故意で避けているのかと思われているほど
1度として視線を寄越さなかった相手が、ピタリとエドワードに目を向けてくる。
「鋼の」
そう呼ばれて数瞬、それが自分の事だと認識するまでの時間。
「・・・おう」
何と返答を返せばと思いあぐねて、結局自然と口を吐いて出た返事をする。
「記憶障害の弊害が現状では特に無い事は、君の言動から判っている。
 が、君の起そうとしている事に間違いは許されない。
 本の些細なミスが命取りになりかねない事柄だからな」
そう一気に言われて、思わずエドワードの視線が鋭く相手を見据える。
聞いてはいたが、実際この男がエドワード達の行動を、正確に把握してる事を思い知った。
「君の記憶の欠如が、それらにどういう影響を及ぼすかが判明するまでは
 軽率な行動は止めたまえ」
尤もな指摘をされ、先へ先へと浮かれていた頭が冷えてくる。
直情的な性格のエドワードだが、それと同時に冷徹な科学者でもある。
この上司が言いたい事は、本来なら最初に考えて然るべき事柄だ。
「・・・判った。で、取りあえず俺らはどうすればいいわけ?」
不遜な態度なのは判っているが、主導権を取られっぱなしと言うのは癪に障る。
「そうだな・・・。まずは、待機をしておいて貰おうか。
 君の会った錬金術師には、私も面識があってね。直ぐに出かけることは難しいが
 1週間の内には動ける算段も出来るだろう。
 私が動けるようになったら、記憶の欠如が他に及ぼす影響の有無を調べてくる。
 君が判断して動くのは、その後という事になるな」
「だな。OK、それまで大人しく待機してるぜ。
 で、問題があると判った場合は?」
「面倒でも記憶を戻す手立てを踏むしかないだろう」
「んじゃあ、問題ないと判ったら?」
暗に、あんたの事を忘れてても構わないのかと仄めかす。

ロイは挑戦的なエドワードの瞳を見つめ返す。
何年、この瞳を見続けて・・・見護って来たのだろう・・・。
彼は泣かない少年だった。否、泣かないようにロイがしたのかも知れない。
最初の頃は何度か涙を流していたのを見た。
全て他人の為に、自分の無力を恥かしみ、蔑んでの涙だったが。
ロイはその度に、泣き、踏鞴を踏む背中を強引に叩いて、押し進めさせてきた。
そして幾度目かの後に、彼は泣かない少年になっていた。
それに気づいたのは、随分と後になってからだ。
ーーー 最近で彼の涙を見たのはいつだっただろう・・・---
そう考えようとして、危ない方向へと記憶が行きそうになるのを
今を思い直して留まる。
そして、答えを返した。

「その時は気にせず自分達の道を進めばいい」
そう答えた瞬間、悲痛な空気が部屋の中を膨れさせたが、
今度は逆らう声を上げるような愚か者は居なかった。
暫しの沈黙がその場を制して後。
「では、実際問題彼らにはどこに滞在してもらえば宜しいでしょうか?」
冷静な指摘に、エドワードは怪訝そうに首を傾げて問う。
「えっ? 何で?
 別に1週間やそこらなら、定宿の宿に居るぜ?」
そう答えてくるエドワードに、ホークアイは苦笑して返す。
「エドワード君、もう少し自分の立場を考えて。
 あなたは曲りなりにも軍属で、しかも国家錬金術師なのよ。
 普通の時になら問題ないでしょうけど、今この時に普通のように行動を取ったとして、
 どこでボロが出るか判ったもんじゃないわ。
 そんな危険な事を、少佐待遇のあたなにさせれるわけがないでしょ?」
それは言い換えれば、このメンバーにも同様の事が言えるという事だ。
思ったより目の前の大人とは密接した関係にあったようだから、
記憶に無い自分の失態が、大きく響く原因にもなりかねない。
そこに思い当たって、浅慮な自分を恥じる。
ーーー 俺、自分のことばっか考えて・・・---
「軍の宿舎関係は駄目だな」
「ですね。どこで要らぬ耳目があるか判りませんから」
「かと言って、一般の宿舎じゃあ1週間も2週間も、大将がじっとしてるのは
 無理っすよね」
「アルは兎も角、エドには期待できんな」
うーん。ムムーと皆が首を捻っている中、ポンと手の平を打ち鳴らして
ホークアイが頷く。
「どうしたんだね、中尉」
怪訝そうに問うマスタング大佐に、満面の笑みで伝えてくる。
「大佐、大佐の官舎が有るじゃないですか」
「私の?」
「ええー!」
両者の驚きも気にする事無く、ホークアイの提案は続いていく。
「はい、そこでしたら記憶の手助けにもなるでしょうし、
 もし思い出せない事柄にぶつかっても、大佐に聞けば直ぐに解消されます。
 それに何と言っても、大佐のご自宅にはエドワード君が籠もるだけの書籍があります」
「それは確かにそうだが・・・」
渋る上司に、「最良の案です」とニコリと笑って言い切ると、この女性の押しには
滅法弱い(頭が上がらないとも言う)男は、グッと言葉を詰まらせる。
「ええー! 俺は・・・」
黙り込んだ男の代わりに、エドワードが慌てて抗議の声を上げようとするのには、
何でもないように、優しい笑みを向けて。
「あら、どうせ大佐は直ぐに調査に出られるのだから、対した問題でもないわ。
 留守の家を守ってくれてれば良いだけなのよ?」
と畳み掛ける。
「そうだよ兄さん。そこだと直ぐに情報も伝えてもらえるし。
 それに何と言っても、大佐の書籍が見られるなんて、凄いよ」
後押しするように言うアルフォンスの言葉に、エドワードの反論も塞がれる。
そんなやりとりを見ていたマスタング大佐が、フゥーと大きなため息を吐くと。
「仕方ない。君らは、結果が出るまで、私の処で待機していてもらおう。
 部屋だけは余るほどあるから、好きなとこを使えばいい」
諦めきった言葉を決定として、ガヤガヤとその後の事を各々が話し合いながら
執務室を出て隣へと戻っていく。
最後に残ったホークアイ中尉が、ついでとばかりに決済済みの書類を受け取りに
ロイのデスクへと寄る。
傍に近付いてきた相手だけに聞こえるように、ロイは苦渋に満ちた声で話しかける。
「中尉、君は一体何を考えて・・・」
その問に、ホークアイは少しだけ困った表情を浮かべてみせる。
「大佐・・・、物分りの良い大人を演じることも構いませんが、
 それだけでは、辛すぎます。
 諦めが良すぎるのも、美徳と共に罪ではありませんか?」
その言葉に、ロイは思わず相手に視線を合わす。
「諦めるのは最後の最後、結果が出て足掻いた後で宜しいのでは?
 それに・・・。
 もしどうあっても変わらない結果が結末になったとしたら」
そこまで告げて、ホークアイは書類を持ち直して、背筋をきっちり伸ばす。
その間も、ロイは彼女から・・・嫌、彼女が言おうとしている言葉から気を離せない。
そんなロイを、小さな子供に向けるような温かな笑みを浮かべて、きっぱりと告げる。
「その時は、新しい記憶と関係を築けば良いんじゃないでしょうか」
その言葉をロイは茫然とした表情で聞く。
そんなロイが自失している合間に、ホークアイは見事な動作で礼をして、さっさと部屋を立ち去っていく。


隣の部屋では、賑やかにお泊りの準備を話し合っている仲間たちがいる。
「食い物、食い物は持っていけよ。
 前聞いたらさ、何か酒か肴位しか大佐の家には無いって聞いたぜ」
「何か面白いもの発見したら、俺らにも教えてくれ」
「おう、そんで大佐を脅すネタにしたいしな」
「馬~鹿、そんなに簡単にネタを落としてるような相手かよ」
「えー、でもプライベートなら可能性はありますよね」
「おう、女性関係の連絡とかは頻繁そうだよな」
「先に聞いてそこら辺避けとけば、痛い目見なくて済みそうだし」
「ハボック少尉は、そうでなくとも痛い目に合いそうですが?」
「うるせーんだよ! 余計な茶々を入れんな」
やたらと盛り上がりを見せるメンバーに、エドワード達が目を白黒させている。
「何か・・・俺らより盛り上がってんぜ、あんたら」
驚いているエドワードの零した呟きを拾ったメンバーが、また騒ぎ出す。
「だってよ! 大佐の私生活とか、自宅とかって聞いたことないんだぜ」
「え・・・? そうなんだ」
「俺らも付き合いは長いけど、自宅を訪問するような事って無かったしな」
「まぁ、皆勤務がまちまちだから、揃ってお邪魔する機会も
 なくて当然なんだけどな」
「驕って頂くとかの飲み会とかも、外でが普通でしたからね」
「金があるからそっちでも懐は痛まないんだろ」
「そうですよね。大佐の上、国家錬金術師手当てが出ますもんね」
延々と続きそうな盛り上がりに、静止をかけたのは、頃合を計ったホークアイだ。
「あなたたち、何を下世話な話をしているの。
 そんな話は二人に聞かせるような話ではないでしょ」
ピシャリと言い切られたメンバーは、罰悪そうな表情を浮かべて
そそくさと持ち場に戻っていく。
そして、ホークアイは一同を睥睨して釘を差した後に、兄弟の傍へとやってくる。
「ごめんなさいね、煩くて。
 で、今日なんだけど、最初の日でもあるから、大佐と一緒に帰って頂戴ね。
 今日は会議も終わって、定時になれば帰ってもらっても大丈夫なの」
「ん・・・ごめん、何か中尉の手間を増やしちまって」
殊勝なエドワードの言葉に、中尉は優しく首を振りながら微笑み返してくる。
「いいえ、手間だ何て思わないわ。私も、皆も、勿論大佐もね。
 だって・・・、仲間でしょ、私達」
確認してくるように強く頷いて告げられると、兄弟の胸にじんわりと温もりが広がっていく。
「・・・ありがとう」
小さな声で返事を返せば、ホークアイは嬉しそうに笑って返す。
そして、気づいたようにアルフォンスの方に向いて話しかける。
「じゃあ今のうちに、アルフォンス君は食事の買い物をしてきてくれるかしら?
 出来れば大佐の分もね」
「はい判りました、勿論です!」
「ありがとう。その間に、エドワード君には幾つか軍に関する注意事項を話しておくわね」
「注意事項?」
「ええ、大佐に関する問い合わせの受け答えみたいなものかしら」
そう告げられた言葉に、疑問を抱かずに頷く。
「じゃあ、僕は早速買い物をしてきます。
 兄さん、ちゃんと聞いといてよ、大佐や皆に迷惑かけないようにさ」
弟に念を押されて、エドワードは口をすぼめて不満顔を作ると。
「わーてるって!!」と不貞腐れたように返事を返した。

その後併設されている応接室代わりのソファーに座りながら、幾つかの軍関係への
レクチャーを受ける。
「電話は一般の物は取らないでいいわ。代わりに連絡は、フィリー伍長が引いてくれている
 専用回線でするから、エドワード君も何か私達に連絡を取りたいときは
 そちらを使って頂戴。 ただし、その回線は秘密なんで、私達以外には使わないで欲しいの」
「うん、判った。他に連絡しなくちゃいけないような事があったら、アルの奴に
 外から電話してもらうよ」
「ええ、そうして頂戴ね」
「で、後はマスタング大佐が結果を持ち帰ってくれるまで、家からは極力出ないと」
「そうね、暫くは窮屈でしょうけど、ここではあなた達の事を知っている人が多すぎる街だから」
そしてそれ以上に、ロイは注目度の高い人物なのだ。
「判った、大丈夫。どんな本が揃っているのか判んないけど、
 同じ国家錬金術師なら、面白いもの持ってるだろうから、それで時間は潰せるしな」
「ええ、それは保障するわ」
それに・・・と考える。大佐がこの兄弟の為に揃えている物も
結構な数に至っている筈だ。マメに手渡していたようだったが、ここ最近姿を見せなくなっていた
間にも、途切れること無く本や文献が送られて来ていた様だったから。
そんな二人の繋がりを知っているホークアイにとっては、
今度の事を、仕方ないで終わらせる事は出来なかった。
自分たちとは違う繋がりと絆の強さを、ロイとエドワードは築いて行っていたように思う。
そんな二人が、「忘れた」「はい、そうですか」と簡単に終わらせて良いわけが無い。
上司の引き気味な態度には疑問を抱くが、その理由を突き詰める気はない。
それは本人たちの問題だ。自分に出来るのはあくまでも、歪みを正す努力だけだ。
今目の前で手持ち無沙汰に、アルフォンスの帰りを待っているエドワードの様子には、
何ら普段とは変わりない。
その変わりなさが、妙に不自然すぎて、ホークアイには怖いのだ。
無くしたものの大切さは、無くしてからしか気づけない。
が、気づかないのなら、無くしたものの大切さも気づかないままに過ぎて行ってしまう。
ーーー だからせめて ---
「エドワード君」
改まった呼び声に、エドワードは素直に姿勢を正して窺ってくる。
「何?」
信頼しきったエドワードの表情を向けられて、ホークアイは思わず表情が綻ぶ。
「無くても良い記憶なんて、ないんじゃないかしら?」
先ほどのエドワードの失言を指しているのに気づいたエドワードが
罰の悪そうな表情を見せる。
「もしあなたが、アルフォンス君に忘れられたとして、同じようにそう思える?」
「で、でも・・・」
俺らは兄弟だから、そう告げたかったのだろう。
「そうね・・・、確かに血の繋がりはないわ、大佐とも私達とも、誰とも。
 あなたがた二人以外では。

 でも血の繋がりだけがあなた達のこの世界の全てなのかしら?」
「中尉・・・」
「人が生まれ育っていく中で。
 そして、死んでいくまでの間に、血の繋がっていない人間との触れ合いのほうが
 遥かに数は多いのよ?
 今はずっと傍に一緒に居るから感じないかも知れないけど。
 いずれはあなた達も離れて暮らす日がくるわ。その時に、傍にいる人が血の繋がりを
 持っていることは、無いでしょ?」
エドワードは話しに聞き入りながら、ゆっくりと瞼を瞬かせる。
「どうしてあなたが大佐の事を忘れたのかは、気にする事はないわ。
 結果が出ていない以上、それをとやかく言うのはおかしいもの。
 でも、結果が出ていない以上、それが無駄かどうかなんて、どうして判るのかしら?
 
 もしあなたがアルフォンス君の記憶から消えたとして。
 私は錬金術師ではないから、良くは判らないけど、それがあなた達の道を進む上での事なら
 あなたは我慢するわね?」
その問いかけに、エドワードは暫し迷ってから強く頷く。
「ああ、もしそれがどうしても必要な事なら、俺は我慢できる」
「そうよね。
 でもそれは、肉親だけに限られた事はないんじゃないかしら?」
そこまで話されて、漸く彼女の言いたい事に思い当たり、戸惑う。
「あなたが戸惑うのも判るわ。
 あの人は自分を隠すことには天才的ですもの。
 でも、それが本当かどうかは、あなたが、エドワード君が見極めてから
 判断して欲しいの。
 
 私はあなたと大佐の関係を見守ってきていたから言えるの。
 決して、あなたが言うように、あなたの大佐の記憶は、無くても良い程度の物じゃ
 なかったんじゃないかってね」
エドワードは言われた事を咀嚼するように、黙り込んで組んだ足に付いた手の甲に
顎を置いた姿勢で沈黙する。
そんな姿は、二人とも本当に似ている。
半眼でじっと視線を固定して、何かを考え込んでいる表情は
先ほどまでの子供らしい様子とは打って変わって、老成した大人びた雰囲気だ。
そしてゆっくりと視線をホークアイに据えると。
「うん、中尉の言いたい事は解った。
 俺も情報に浮かれてて、少し軽率だったと思うし。
 この期間に、良く考えてみるよ」
その言葉に、ホークアイもしっかりと頷き返す。



定時を少し過ぎて出てきた大佐に伴われながら、兄弟2人が部屋を出て行く。
少しだけギクシャクとした雰囲気を纏わせている兄に、それを気遣う気配をみせる弟。
そして、何事も変わった事が無い振りをしてみせる、捻くれた大人。
そんな奇妙な3人組の共同生活は、凡人には計り知れない事だった。

ーーー どちらに転んでも、二人が互いに先を見つめれるように
        なってくれれば・・・---

そう願いながら、ホークアイは3人を送り出した。




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